マーケティングの理論や手法を解説している本は多くありますが、「自社に適したチャネルの選び方」 にフォーカスして体系的に教えてくれる本は多くありません。『トラクション ― スタートアップが顧客をつかむ19のチャネル』は、オンラインとオフラインを横断する19種類の顧客獲得チャネルを、具体的な方法とケーススタディで説明してくれています。また、チャネルの選び方のフレームワークも紹介されています。
Wikipedia、HubSpot、redditなどの創業者など、デジタルマーケティングの第一線で活躍している方々にインタビューして書かれた実践的な本です。よくある対談や成功事例・ケーススタディが順番に紹介されているようなパートはなく、一言コメントとしてこうした有名な起業家もしくはマーケターの発言がところどころに引用されています。
マーケティングの打ち手を多角的に知っておけば、試せる選択肢が増え、その分 PMF(プロダクト・マーケット・フィット)に到達できる確率も高まります。プロダクトの完成度だけではなく、「どう届けるか」というディストリビューション戦略が会社の浮沈を左右します。
PayPal共同創業者で、Facebookの初期投資家、トランプの初回の当選時に大きな貢献をしたピーター・ティールの以下の発言にもあるとおり、視野を広げて、成果が出る打ち手をあきらめずに探し続けることがPMF前のスタートアップにとって大切です。
「ディストリビューション(流通)戦略において、最善の選択肢が複数存在することはおそらくないでしょう。エンジニアはディストリビューションを理解しないため、この罠にはまり、苦労することになります。何がうまくいくのかを知らず、考えたこともないので、営業やビジネス開発、広告やバイラルマーケティングをなんとなく適当に試してみるでしょう。そのほとんどは不要なものであるにもかかわらず、です。
これはとても悪い考え方です。最適なチャネルが一つである可能性はとても高いものです。ほとんどのビジネスにおいては、実際にうまくいくディストリビューションチャネルは存在しません。最大の失敗原因は、貧弱な製品ではなく、貧弱なディストリビューションです。一つでもディストリビューションチャネルを成功させられれば、素晴らしいビジネスです。いくつかのチャネルを試して一つも成功しなかったならば、終了です。
したがって、ただ一つの、最適なディストリビューションチャネルの選択を真剣に考えることが無駄になることは決してありません。 p.13より引用」
こんな方におすすめします
- スタートアップの経営者
└ プロダクトはあるのに顧客獲得で頭打ちになっている方 - はじめてマーケティング担当になった方
└ 施策の”引き出し”を一気に増やしたい新人マーケター - 同じチャネルを使い続けていて成果が伸び悩んでいるマーケター
└ 新しいチャネルを客観的に選び直したい方
「トラクション」とは?
本書でいう Traction(トラクション) とは、単なる勢いやバズではなく、顧客獲得が「再現可能なプロセス」として数字に表れはじめた状態を指します。
著者はトラクションの重要性を強調するために 「50%ルール」 を提示しています。
トラクション獲得と製品開発にはほぼ同程度の重要性があり、均等にリソースを割り当てるべきなのです。これを私たちは「50%ルール」と呼んでいます。 p.24より引用
個人的な意見としては、創業初期や新規事業の立ち上げ直後は、むしろトラクション獲得に 70〜90%ほど比重 を置いたほうが成功確率が高いと感じます。売ってから作るくらいの感覚で、顧客との対話を通じて先にニーズの有無を検証してフィードバックをプロダクトに反映していきます。これにより誰も使わないものを開発してしまうこと防げます。
オフライン含めて幅広いチャネルが紹介されている
SEMや SEO、コンテンツマーケティングといったオンライン定番施策から、営業・展示会・講演・コミュニティ構築・オフライン広告・ビジネス開発(パートナーシップ)などのフィールド型施策、さらに「規格外PR」や「エンジニアリングの活用」といった尖った手法までが並んでいます。最初に本書を通じてチャネルの引き出しを増やしておくことで、自社がまだ試していない空白領域を発見できる点が大きな価値です。視野を広げれば、それだけ PMF へ至る道も増えるわけです。
19チャネル一覧
以下は手法を整理した画像です。横軸にオンライン/オフライン、縦軸にすぐに成果が出る/時間がかかると置いています。横軸の位置は、中心に近いほどオンラインとオフラインの両方に関与していることを示しています。
この画像は書籍内に掲載されていたものではなく、私が勝手に整理分類したものです。なお、19項目は目次として公式ページに公開されています。
トラクション – O’Reilly Japan

原著は2014年刊行のため、YouTube や TikTok などの動画プラットフォーム運用、最新 SNS のアルゴリズム攻略など、現在ならこう書くだろうという部分があります。ただし、本書が推奨する19チャネルの大半は流行りすたりに左右されにくいチャネルで構成されていますので、今でも十分に読む価値があります。
チャネルを絞り込む”5ステップ”
本書では、チャネル選択を下記の5ステップで進めることを推奨しています。
- ブレインストーミング
- ランク付け
- 優先順位付け
- テスト
- リソースの集中
スタートアップ、新規事業立ち上げの場合、すべてを並行して実施するほどリソースはないので、いくつか絞り込んで重点的にテストし、成果が出るチャネルが見つかり次第そこにリソースを集中する流れになります。
正しくテスト・失敗をする
チャネル検証は「当たらなければ即撤退」で済む単純作業ではありません。自社のプロダクトにマッチしたチャネルがどれなのかを探すわけですが、いずれのチャネルを試すにしても、正しい方法を理解してある程度量を積んでから成否を判断しないといけません。
成果が伸びないときは、まず設定した KPI の動きを確認し、クリエイティブやターゲティング、導線設計がセオリーに沿っているか点検します。設計を修正しても改善が見えない場合に初めて、次のチャネルへ移ります。
少し触ってすぐ失敗だと判断して次のチャネルに移行するのを繰り返していると、すぐに打ち手が尽きてしまいます。チャネル自体の選択はもちろん、正しい方法で試したかどうかが重要です。
1つ成功させた後に組織と資金を拡大する
勝ち筋となるチャネルが見つかった瞬間から、営業・カスタマーサクセスの採用や広告・コンテンツへの投資のレバレッジが一気に効き始めます。逆に、上手くいくチャネルが見つかっていないのに人員を増やしても、売上は伸びず固定費が先行するばかりです。「ROIの高いチャネルを発見してから拡大」の順序が、無駄な投資をしないために大切です。
私はSEOの支援をすることが多いのですが、SEOだけで年商数千万円の状態から10億円を超えるような企業に成長した事例をいくつも見てきています。上手くいく兆しが見えた1つのチャネルでやり切るだけで、PMFを十分に達したといえるような状態にまで持っていくことができます。
ただ、マーケットサイズによりますが、どのチャネルもいつかは規模に応じて効果が逓減していきますので、伸びが鈍化する前のタイミングで次のチャネルを探しましょう。
まとめ──チャネルの視野を広げ、PMF到達率を高めましょう
チャネルや選定するプラットフォームの細部などはアップデートする必要があるものの、チャネル選択→仮説検証→一点集中というフレームワークは色あせていません。いまのマーケターが読んでも十分に価値がある一冊です。停滞を感じたときこそ、視野を広げる作業が成長の再出発点になります。本書はチャネル発見のための実践的なガイドです。効果的なマーケティングチャネルが見つからない人におすすめです。